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  1. 当時のイタリア情勢
  2. 当時の世界情勢
  3. シュナイダー・
    トロフィー・レース




















1920年代の時代背景

イタリア情勢

 第一次世界大戦で戦勝国となったイタリアだが、総力戦となった大戦はイタリア経済に過度な負担となり、戦争後には深刻な不況へと突入した。
その実情は敗戦国と大差は無く、街には失業者と復員兵が溢れかえり、都市部では労働者の争乱、農村部では貧農の暴動が多発した。
イタリア国民はこの戦勝国とは思えぬ悲惨さを「栄光なき勝利」と自嘲的に評した。
一方で同時期に発生していた世界恐慌に対しては、元々不振が続いていたこともあり影響はほとんど受けず、 多くのイタリア人は株価大暴落の知らせを聞いても、「ああそうか」というだけで今までどおり暮らしていたと言う。

(フィオとポルコがアジトへの道中クロアチア側で給油に降りたときも、フィオが「燃料がイタリアの3倍もする」と嘆いている)


世界情勢

 アメリカ合衆国ではエンパイアステートビルが完成。世界経済の中心がロンドンからニューヨークへ移り、同時期にはジャズ文化が各地に広まった。
大量生産・大量消費により経済が活発化、ヨーロッパではソビエト連邦とバチカン市国が成立。南米では第一回FIFAワールドカップがウルグアイで開催されるなど、世界は華やかで希望にあふれていた。

しかし「黄金の20年代」と言われた経済成長も終わりを迎える。1929年10月にニューヨークで発生した株価の大暴落は世界各国に伝染、世界大恐慌となる。これにより物価が急落、企業は倒産、全世界の失業者は2000万人にも達したと言われる。

この当時は社会保障がほとんどなく、失業=飢え死にをも意味したため、作中では食い詰めた飛行家達が海賊行為に手を染めた・・・という設定になっている。


シュナイダー・トロフィー・レース

 フランスの富豪、ジャック・シュナイダー(Jacques Schneider)主催で1913年から1931年まで行われた水上機のスピードレースである。
当時の航空機は高速機であるほど長距離の滑走路が必要であり、陸上機では高速化に限界があった。一方、水上機は離着水に広大な水面が利用できたため制限があまりなく、当時の技術的にはむしろ高速化を追求できた。したがってシュナイダー・トロフィーは水上機限定のレースではあったが、事実上、当時の「世界最速」を決定するレースでもあった。

「1927年のシュナイダーカップでコイツを乗せたイタリア艇はカーチスに負けたんだ」

ピッコロ社の社長が語った「シュナイダーカップ」のモデルであるが、実際の1927年のレースにはアメリカは参加していないなど、史実とはやや異なっている。

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